2021.04.19

☆日本のお風呂の歴史

日本の入浴の歴史はいつからなのでしょう?

今と昔では入浴の仕方も違うのでしょうか?

現在の入浴方法になるまでの歴史を、時代とともに見てみましょう。

お風呂のはじまり

6世紀に仏教が伝来するとともに中国から伝わってきたといわれています。仏教では「お風呂に入ることは七病を除き、七福が得られる」という教えがあり、お風呂は健康にいいと人々に理解されていました。以来、汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事と説かれ、多くの寺院で浴堂が備えられるようになりました。そして浴堂のない庶民にも入浴を施したことから、お風呂に入るという習慣が始まったとされています。

当時の入浴には「風呂」と「湯」の2種類があり、「風呂」は蒸し風呂のような(現在のサウナのような)もの、「湯」が湯に体をひたすもので、現代の入浴方法に近いものでした。

鎌倉時代~安土桃山時代

鎌倉時代、室町時代には京都や鎌倉で「町湯」と呼ばれる初めての銭湯が建てられました。有力な貴族などは屋敷に入浴設備を建て、客人を呼んで宴会とセットの「風呂ふるまい」を行うなど贅の限りを尽くしました。入浴施設を持たない貴族も「町湯」を借り切っての宴会「留風呂」を楽しんだという記述が残っています。この頃から日本は独自の入浴文化を築きはじめるのです。

江戸時代

純粋な公衆浴場「銭湯」が登場したのは江戸時代といわれ、庶民も銭湯を楽しむようになりました。

このころの風呂はまだ「戸棚風呂」という混浴の蒸し風呂が主流で、膝から下が湯に浸かる半身浴のようなものでした。当時は上級武士しか内風呂をもてず、一般の町人は行水をしたり銭湯に通ったりして身体を清めていました。

江戸時代の初期に肩まで浸かる「据え風呂」が登場しました。この当時の風呂は、薪を燃やして風呂釜を直接温めるタイプの風呂が主流で、「鉄砲風呂」「五右衛門風呂」はこの当時に出現したものでした。

銭湯は流行に敏感な江戸っ子達の社交場でもあったようで、様々な銭湯文化が生まれました。その頃から庶民の間に入浴という習慣が根づき、日本人は世界に類を見ない「風呂好き国民」となったといえるでしょう。

明治時代~昭和初期

明治維新の後、新政府の「四民平等」によって武士も平民になり、銭湯の利用者が急増します。銭湯も蒸し風呂式をやめ、浴槽は板間に沈めて湯をたっぷり入れました。さらに洗い場を広く天井を高くし、開放的で清潔感のある銭湯になりました。これは“改良風呂”と呼ばれ評判になりました。

大正時代になるとさらに銭湯は近代化します。板張りの洗い場や木製の浴槽は姿を消し、タイル張りとなりました。後に、水道が普及すると浴室に水道式のカランが取り付けられ、衛生面においても向上しました。

戦後~現代へ

明治・大正・昭和へと時代が進み、戦後の高度成長期を迎えると、欧米文化が庶民の間にも浸透しました。

住宅の進化とともに内風呂が各地に普及していき、さらに風呂付の団地が大量に建てられ、内風呂が一般化しました。 現在では半身浴や入浴剤・アロマなどの家庭での入浴法も広がりを見せる一方で、家庭では味わえない開放感を楽しむ「温泉」や「スーパー銭湯」も根強い人気が続いています。近年のサウナブームも含め、日本のお風呂文化はさらに進化を続けています。

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